クモの網を見て考えたこと
「閑古鳥が鳴く」という言い回しがあります。
「蜘蛛が巣を張る」という言い回しがあります。
どちらも、ひと気がなくて侘しい様子を表します。
が、前者は「その時偶々侘しいだけ」な感じで、
後者は「これまでずっと侘しくて、この先もきっと侘しい」感じです。
時間の経過を内包するイメージ。
それは、
クモが丹念に、緻密な構造物を織り上げていく、その営みのためでしょうか?
あるいは、
かつて有用だったもの、やがて打ち捨てられたもの、そこにかかるクモの網に、時の経過を見るためでしょうか?
ところで、クモが網を張るのにかかる時間、ご存じですか?
「そんなもの知らない、興味ない」というのは健全な回答ですが。
私せっかく調べたんで、書きますね。
まず、クモにも種類があって、網を張るものと張らないものがあります。
網を張るものにも種類があって、網の形もいろいろです。棚状、皿状、円状、いろいろ。決まった形のないのもあります。
で、こういうの、
これは同心円状の円網です。
ご覧の通り大きなものですが、造網にかかる時間は数十分、だそうです。
そして、このクモはずっと網の中心にいて、ここに棲んでいるので、この網は巣でもあります。
実は、クモの網と巣は別のことが多いのです。
例えば、
これも同心円状の、たぶんオニグモの円網ですが、クモ、いません。
こういう網は狩りのための罠で、巣は別にあります。
そして、オニグモは毎日網を張り替えます。
夕方張って、朝たたむ。
ちゃんときれいに撤収するのです。
なんとまめなクモですが、造網にかかる時間は10分ほど。
たいした時間じゃありません。
「赤本机に積んでたら蜘蛛が巣を張った」と、勉強しない自慢する受験生がいましたが、たいしたアリバイにはなりません。
となると、、、どうでしょう?
クモの網の醸し出すホラー感、根拠が怪しくなりますが?
でもね、玄関に3つも4つもクモの網があると、それはうらぶれた感じがするのです。
どこって、私の家の話です。
それが玄関じゃなければ、まだいいのです。
リビングの掃き出し窓にクモの網があっても、他人が気にすることじゃありません。
でも、玄関にもあるのです。3つも4つも。
掃き出し窓のとは違って、ぐちゃぐちゃした網で、私の好みには合わなくて、つまり眺めるためにとっておいたのではなく、ただ放っておいたのです。
それが玄関にあります。
この家は私の持ち物で、玄関はその一部で、つまり私の持ち物なのだけど、使うのは私以外の人です。
私は玄関使いません。まあ、たまにしか使いません。
こうなることは判っていたので、もう少しで玄関のない家を建てるところでした。
ですが、工務店さんが素敵に玄関をつくってくれました(ドアは値切りました)。
その玄関にクモの網があります。
玄関にクモの網が3つも4つもあった場合、
(もしかして10分前に張られたものかもしれない)
と考える人ばかりではありません。
実際、まあ、何日もそこにあるのです。
つまり、それは、
汚れた食器を洗わず流し台に投げ込んだままでいるような、
溜め込んだゴミを捨てず溜め込んだままでいるような、
そういう精神のありようが創り出した光景です。
いえ、私、食器は毎日洗ってますよ。毎回ではないけど。
毎日10回くらいお茶を飲むので、カップはたくさん揃えてあります。
ゴミは、えーと、何がゴミで何がゴミじゃないかの区別が難しかったりするんです。
「物置問題」が未解決で、その辺に置いてある資材がゴミ化しつつあって。。。
先日、町内会の人がお祭りの寄付を集めに来ました。
私はその人のことを知らなかったのですが、その人は私のことを知っていました。
私の勤務先を知っていて、私の祖父を知っていました。どちらも多分、私より詳しく。
私は(これはまずいな)と思いました。
まとめです。
◎ クモが玄関に網を張ると、うらぶれた感が漂う。
◎ そのうらぶれた感は、住人の精神のありようを表出するものである。
◎ そういうものは大ぴらに表出しなくてよいので、玄関のクモの網は払っておこう。
◎ なんなら、家の周りの全部払ってもいい。
クモはどうせまたすぐ網を張る。張るとこ見たい。
以上です。