ロードキル

これまでも何度も見ましたが、3週続けて、は多いと思うのです。

通勤時に遭遇する小動物の交通事故。

 

みつけたら行政に連絡します。

「○○通りを駅から美術館に向かう方向、片側2車線の右(左)側、美術館の手前200(300)m」

あるいは、

中央分離帯が切れたところ、センターライン上」

ハクビシン(先々週)、タヌキ(先週)、ネコ(今日)。

 

こういうのを見たら、すぐに行政に連絡するのが当たり前だと思っていたんだけど。

あまり当たり前じゃないみたい。

私が通るまでに何台も通っているのに、連絡が相次ぐ様子はなくて。

私が一番乗りのことが多いです。

 

ロードキル

避けようのないものなのか、避けられた筈のものなのか、

「当たって」しまったことのない私には判断がつかないけど。

残念だな。

と思います。

職場に着いて、タイムカード押して、勤務に就く前の少しの時間に、携帯の発信履歴から連絡を入れるのが慣れた手順になってしまって、

残念だな。

 

市の清掃課は今、災害ゴミの片づけで非常に忙しいのです。

それでも、ロードキルの対応はそれなりの優先順位であるようで、速やかに回収に来てくれます。

時間が経つほど無残になるし、見てしまう人も増えるしね。

 

さて、なぜこの話をするかというと、

私が当たり前と思うことが、みんなの当たり前ではないことを、またしても感じているからです。

人と違う感覚を持つことで悩んだり憤ったりの経験は、誰にでもあるでしょう。

日赤の献血ポスターを不快に思う人がいて、いいなと思う人もいて、

みたいなことが、いろいろと。

それが深刻なこともあるし、他愛ないこともあるし。

それも、いろいろ。

で、今の私の感覚は深刻なものではありません。

ああ、そうか。

この辺で育って、若いころから車に乗っている人は「またか」って思うようです。「通報?どこへ?」

だから、ああ、そうか。

 

 

これは最近のことではなく、場所も別のところですが。

姪が通った同じ道を、少し後に私が通りました。

姪はイヌだと思ったそうです。

私はキツネだと思いました。

通報したのは私です。

「○○通りを駅に向かう方向、□□橋のたもと。片側2車線の左側、車に轢かれたキツネです」

時速50㎞で通り過ぎたけど、キツネだったと思うの。あの尻尾はキツネ。

私は、

こんなところにキツネがいるんだ?

思ったのでした。

河原の繁みに棲んでいたのでしょう。どうしてか土手を越えて道路に出てしまったのでしょう。

 

里山にはいろんな動物がいるけど、しょっちゅう見るものではありません。

私の動体視力では、用心深いキツネの姿を見るのは無理だと思うの。

生きた姿はね。

 

あれからずいぶん経つけど、あの場所が今でもキツネの棲める場所かどうかが気になります。

が、確認したいとは思いません。

私の動体視力では見えないキツネがいてほしい。