その日、私は
急に起こした貧血でした。
いえ、急ではなかったのかもしれません。
見逃していたのかもしれません。
私も、獣医師も。
2日前に診察を受けていました。
何度か続けて吐いたので、かかりつけの動物病院に行きました。
点滴をして、絶食をして、快方に向かっているようにみえました。
貧血の兆候はありませんでした。
いえ、見逃していたのでしょう。
その日食べたのは、すりおろしたリンゴとヨーグルト、新鮮なささみをレンジしたの。
絶食明けのご褒美を、犬は喜んで食べました。
吐かずにちゃんと食べました。
その日は私の休日で、久しぶりに穏やかな天気で、短い散歩もしました。
雪が融けた土の上を歩いて、排泄をしました。
ちゃんと形のある便と、無色のきれいな尿。
快方に向かっているようにみえたのです。
「おいで」
呼ぶと、いつものように駆け寄りました。
いえ、数歩走って、うずくまってしまいました。
その時、私は判っていなかったのです。
もう走る力もないのに、駆け寄ろうとしたのです。
いつものように。
午後の診察開始を待って駆け込んだ病院で、
「貧血です」
言われました。
「輸血のできる病院を探してください」
探す?
輸血
犬にも輸血治療は行われます。外科手術、外傷、貧血の治療。
ですが、簡単ではありません。
その時の私は知りませんでした。簡単ではないのです。
つまり、
犬の輸血用血液は薬機法上の「未承認薬」であって、市場で流通させることができない。
輸血を実施したい動物病院は、自分のところで血液を賄う必要がある。
そのために、病院は供血犬を飼育し、または、篤志家の飼い主に献血を依頼する。
ということです。
血液を賄う方法、実はもう一つあります。
「治療を受ける側が供血犬を手配する」
Twitterで#供血犬で多くの呼び掛けがされています。
ということも、私は知りませんでした。
探す
輸血のできる病院を探します。
Googleに聞いても教えてもらえません。市の保健センターにも情報はありません。
獣医師会の名簿を見ながら、一軒ずつ電話を掛けました。
ようやくみつけました。
ぐったりした犬を車に乗せ、ナビに病院名を叩き込みます。
そして駆け込んだ病院は「治療を受ける側が供血犬を手配する」システムでした。
思いつく限りのあちこちに電話を掛けました。
「どうすればいい?今からうちの子連れて行けばいい?」
言ってくれる人がいました。
でも、私は判っていなかったのです。
体重8㎏の柴犬から200ccの供血を受けることはできません。
供血を頼めるのは「若くて健康な大きな犬」です。
もちろん、血液型の問題もあります。犬の血液にも型があります。
でも、飼い犬の血液型を知っている人、どれだけいます?私も知りません。
泣きながらあちこちに電話をしている私に、診察を待っている猫の飼い主が声を掛けてきました。
「どんな犬を探せばいいの?」
その人はスマートフォンを持って立ち上がり、電話を掛けはじめました。
私も電話を掛け続けました。
そういえば、知り合いに若いラブラドールの飼い主がいました。を思い出しました。
でも、私は判っていなかったのです。
もうひとつ、問題がありました。
時間
輸血には時間がかかるということです。
200ccの血液をいっきに輸血することはできません。
ショックを起こさないよう、少しずつ、何時間もかけて入れていかなくてはなりません。
その間、犬の容体を見守るスタッフがついていなくていけません。
この病院の診療時間はまもなく終了します。
血液検査の結果が出ました。深刻な貧血で、やはり輸血が必要と。
貧血の原因は判りません。X線や内視鏡の検査をする余裕がないからです。
疑われるのは、消化器官の腫瘍か潰瘍。あるいは、免疫介在性の貧血。
免疫介在性?
「それって急になるものですか?」
「なります」
原因が何でも、命をとりとめるには「とりあえず」輸血が必要です。
が、
「今から供血犬を手配しても、当院での処置は明日になります」
まさか、それまでは保たないと?
「強い子です」
静かに、獣医師が言いました。
「この数値の状態で、よく頑張っています」
では、教えてください。今から処置を受けられる病院を。
そのとき私は知りませんでした。
動物の夜間緊急高度医療を提供できる施設がどこにあるのか。
市内にはありません。県内にもありません。
全国にもあまりたくさんはありません。
こうして今ネットで調べても、そう多くはみつかりません。
東京の家族に連絡しました。
「連れて来て」
頼まれました。
「受け入れ先は必ずみつけるから」
その夜、私は新幹線に乗りました。
行先は東京。
東京には夜間緊急高度医療を提供する施設がいくつかあります。
その一つが受け入れを約束してくれました。
たどり着けませんでした。
犬は新幹線の中で息をひきとりました。